入局をお考えの方に

留学体験記

鴨居功樹(本学 講師)

平成21年9月〜平成23年9月 アバディーン大学眼科(イギリス)

 2009年夏の終わり、ロンドン、ヒースロー空港ターミナル5、アバディーン行きの搭乗口で話しかけてきた乗客のストロングアクセントに困惑したのを、昨日のことのように思い出します。あれから2年半、時が経つのは早いものです。
 アバディーンは英国・スコットランド北東部に位置し、街並みは花崗岩で統一されて美しく、ヨーロッパの石油の首都と呼ばれるだけあって生活水準は高く安全な町です。付近にはマッカラン、シーバスリーガル、グレンフィディックなどのスコッチ・ウイスキーの蒸留所が点在し、またエリザベス女王が毎年夏に滞在されるバルモラル城があります。
 アバディーン大学医学部は英語圏で最も古い医学部で、敷地はヨーロッパ一広大です。
 眼科を率いるForrester 教授は "Legend"と称えられる著名な眼科医です。英国のベストセラー`The Eye'の著者であり、`British Journal of Ophthalmology(BJO)'のEditorin-Chief を長年務められた方です。教授は数えきれないほどの賞を受賞されていますが、今年は最も栄誉ある"Bowman Lecture" とARVOで ?Weisenfeld Award for Excellence in Ophthalmology" を受賞されました。そして指導者としても偉大で、過去には現在の英国眼科学会会長でBJO Editor-in-Chiefの Dua教授や前BJO Editor-in-ChiefのDick教授らがアバディーン大学眼科に在籍されていました。

 アバディーン大学眼科では、「樹状細胞による眼炎症治療」「自然発症ぶどう膜炎モデルの解析」の研究を行ないました。研究は自分ですべてをオーガナイズして、データを Forrester教授とディスカッションする形でした。明け方までフローサイトメトリーをするなど大変なこともありましたが、自分のアイデアで自由にやらせていただけたのは大変ありがたいことでした。研究自体は比較的順調に進み、スイス、米国、英国国内の学会などで発表し、また今年のARVOでは、樹状細胞の発見者でノーベル賞を受賞された今は亡きSteinman教授との共同研究を発表させていただく機会を得るなど、貴重な経験をさせていただきました。

 同僚は、ドイツ、フランス、スペイン、ポーランドなどヨーロッパ各地から来ていて、みんなとても熱心に臨床や研究に励んでいました。中でも女性が多く、ミーティングやホームパーティーに参加しても男性は私だけということもしばしばでした。こちらに来て感じたのは、ヨーロッパは女性医師が多く、とても頑張っているということです。友人のチェコ出身の女性医師が言うには「チェコでは医師の7割が女性。なぜなら男性はlazyで勉強しないからね…」とのことです。もちろん男性も頑張っていて、アバディーン大学眼科では緑内障で有名なスペイン出身の Azuara-Blanco教授や、Dectin-1の研究で有名な南アフリカ出身のBrown 教授らが活躍されています。

 生活面では、日本人が見当たらない街ですので全く事情がわからず、最初は大変でした。家を借りるにも一苦労で、なかなか決まらないため同僚のポーランド人の家にしばらく居候していました。また、英国はストライキが多く、郵便局までストライキをしたために研究に必要なライセンスが届かず、しばらく何もできなかったり、11時と15時のティータイムが長いせいか、大学オフィスに行ってもいつも人がいないので手続きが全く進まないなど、日本では考えられないトラブルが続発しました。しかし、身の回りのセットアップが終わると平日はかなり研究で忙しいものの、週末には同僚や友人たちとパブやパーティーに行ったり旅行したりする余裕が生まれ、楽しくなってきました。
 1年後に妻(慶應義塾大学医学部眼科学教室でお世話になっております)と息子もアバディーンに来てくれたため、さらに楽しい生活になりました。息子は現地の小学校に入ったので最初は英語も話せず、白人の中に1人だけアジア人という状況で刺激が強すぎたかもしれません。しかし、帰国する頃には友達もたくさんできて楽しんでいるようでした。
 ところで、英国人は休みになると天気の悪い自国から脱出することを考えます。ヨーロッパのどこへ行くにも近いですので、彼らに倣って友人や家族と週末や休みを利用してヨーロッパ各地を巡りました。コスタ・デル・ソルやコート・ダジュールをドライブしたり、ほかにも数多くの美しい場所を訪れることができました(写真)。ローザンヌのHerbort 先生の別荘(スイス、サース・フェー)にお招きいただいて、富士山よりも高い所でスキーをしたのも良い思い出です。

 アバディーンに滞在している間にさまざまな出来事が日本、そして世界で起こりました。
 フランス人の友人宅で家族と夕飯をごちそうになっている時、BBCニュースで飛び込んできた日本の津波の映像は本当に衝撃的でした。BBCでは連日、トップニュースで日本の被災状況を報じ、 Home Office(英国内務省)や大学は英国国民に日本への渡航を控えるよう通知を出しました。そのことによりForrester 教授は、望月學教授が総会長をされた『日本眼科学会総会』での招待講演に行くことができなくなり、代わりに私が彼のビデオ講演を日本に持ち帰るという経験もしました。アバディーン大学や息子の小学校、妻の英会話学校で日本の多くの被災者のための募金活動に協力してくれた友人たちには、心から感謝しています。
 また、リビア出身の整形外科医の友人に招待され、リビアとチュニジアに行く予定だったのですが、その直前にアラブ諸国の民主化運動が活発になり、リビアでも内乱の様相が激化してしまいました。彼はその様子を見ていられず、リビアに帰国しましたが、その後の連絡がとれないまま私は日本に帰国してしまいましたので、彼の安否が心配です。母国の難しい事情を抱えている友人も多く、自分自身がいかに平穏で恵まれた環境で生きてきたかということを強く感じた日々でもありました。

 最後に、研修医の頃から今日に至るまで温かいご指導を頂いている東京医科歯科大学教授の望月學先生、大学院時代に研究のイロハをご指導いただいた東京大学大学院教授の渡邉俊樹先生、留学中も変わらぬご支援を頂いた東京医科歯科大学眼科医局の皆様、そして家族に、心から感謝しております。
 Forrester 教授のフェローとして過ごし、多くの同僚や友人と交流し、またヨーロッパを旅したこの2年間は、一瞬にして過ぎ去ってしまった夢の中の出来事のようです。この留学で得た知識と経験を生かせるよう、今後も努力していきたいと思います。

吉田武史

ジョンスホプキンス大学、南カリフォルニア大学(アメリカ)

 私は、アメリカ東海岸メリーランド州ボルチモアのJohns Hopkins University/Wilmer Eye Instituteと西海岸カリフォルニア州ロスアンゼルスのUniversity of Southern California/Doheny Eye Instituteという二つの大学で計4年半の貴重な研究生活を体験させていただきました。楽しいことも辛いことも数多いアメリカでの生活でしたが振り返りながら私の留学を紹介させていただきます。

はじめに
 留学される方々の目的は何でしょうか?研究を外国で思う存分やりたい!というまじめな人から、一度外国でくらしてみたい!と、ややレジャー的な目的の人など様々だと思います。私の場合は大学院で基礎実験を学び学位を取得した後、臨床に戻った際に目の前の疾患や治療のすべてがサイエンスであり、様々なメカニズムが存在していることを身近に感じるようになり、改めて研究したいと思ったのがきっかけでした。と言えば聞こえはいいですが、実際はそれが半分と、英語がうまくなりたいという気持ちと、一度きりの人生なので日本以外の地で生活してみたいという外国への興味が残り半分でした。アメリカへの旅立ちの日にはこれから始まる新しい経験を想像して非常にワクワクした気持ちであったことを今でも覚えております。

ラボについて
 私はアメリカ東海岸ボルチモアという都市にあるThe Johns Hopkins University/Wilmer Eye Instituteで糖尿病網膜症を研究しているDr.Elia Duhのラボに行くことになり、ここから私のアメリカ留学がスタートしました。The Johns Hopkins Universityは19年連続で全米病院ランキング1位を記録している非常に有名な大学で、研究面でも多くのノーベル賞受賞者を排出しています。ここではボスからこれまで私がやってきたものと全く違う研究テーマを与えられ、新しい知見を学ぶことができとても勉強になりました。 約一年半の研究生活が過ぎ論文の目処がたったところで、もともと加齢黄斑変性についての研究をアメリカで行いたいという希望がありましたので、思い切ってロスアンゼルスにあるUniversity of Southern California/Doheny Eye InstituteのDr.David Hintonのラボにて移籍することに決めました。Dr.Hintonは有名ジャーナルに数々の論文を掲載し、眼科の教科書であるRETINAの網膜色素上皮細胞の章をまかされている非常に優秀な研究者です。このラボに在籍する研究者は全員トレーニングをつんだ博士号取得者で、中国、インド、イラン、ドイツそして日本と様々な国々からの人々が研究のために集まってきており、国際色豊かな環境でした。

 

ラボでの研究生活
 私は二つのラボを経験した訳ですが、この二つのラボは全く違うシステムや雰囲気であり、貴重な経験となりました。Dr. Duhのラボではボスからテーマが割り当てられ、ミーティングは週に2−3回あり進行状況を含め実験手技など細部にわたるチェックが常にあり緊張した雰囲気でした。実験スケジュールも細かくチェックがありましたので決まった日には必ず実験結果を出さなくてはいけないプレッシャーはあり、実験を深夜に行う必要性がが多かったですし、週末に実験が入ることがたびたびで研究一色の生活でしたが、今後の研究生活のトレーニングを考える上では非常に良かったと思います。このような多忙な日々でも、たまの休日にはニューヨークに行きスポーツ観戦をしたり、日本からの留学されている先生方と食事をしたり、楽しい時間を過ごすことができました。
 一方、Dr. Hintonのラボの方針は真逆で自主性に任されていました。自分のやりたいことをDr. Hintonにプレゼンをしたところ、それをやらせていただけるチャンスを頂きました。研究の進行状況を発表するラボのディスカッションは皆フレンドリーで意見交換しやすく、実験がうまくいかない時は、皆で相談する和気あいあいとした環境でした。ラボ以外でも皆でランチを食べに行ったり、休日にBBQをしたり、野球を観に行ったりと、とても仲良くしてもらいました。しかしながら、研究は基本的に自主性に任せられ、居心地の良いラボである反面、自分のやりたい仕事がはっきりしてなかったり、研究のトレーニングが十分でなかったり、遊んでばかりだと、肝心なところは誰も助けてくれませんので、何の成果もでないまま時間が過ぎることになります。論文作成も一からすべて自分で作成し完成させなければいけなかったので、英語の苦手な私には大変な作業でしたが、良いトレーニングになりました。また、国際学会では英語でのプレゼンを行う機会があり、とても貴重な経験をすることができました。このような真逆な二つ環境の中で自分の力を試すことができたことは、今後の私自身の自信になったと思います。

国際学会ARVOでのプレゼンテーション

アメリカ生活
 今回私は、アメリカ東海岸ボルチモアと西海岸ロスアンゼルス両方の生活を経験しましたが、はじめに住んだボルチモアはデトロイトに次ぐ凶悪犯罪多発都市で、私が赴任中に病院の敷地内で将来を悲観した患者が病院内で銃を乱射し始め、映画でしか見たことがなかったSWATが突入してきたことがあったり、違うフロアの研究者が夜に自宅近くで刺殺されたり、帰り道、車を走らせていると多くのパトカーがいて事件の現場を何度もみたりする日本では考えられない危険な環境でした。日頃から日本の安全に慣れていた私には非常に刺激が強い生活でした。
 一方、ロスアンゼルスは一年を通して温暖でいつも快晴の過ごしやすい気候で、治安も危険地域に行かなければ問題は全くありません。自然も豊かで、美しいビーチが点在し、車を走らせれば砂漠やグランドキャニオンもあります。その他にも多くの観光名所が点在しています。私は週末になると海岸線をドライブしたりビーチを散歩したり、海を見ながらワインを飲んだりして、青い海と空を眺めながら一週間の疲れを癒していたものです。また、カリフォルニアは世界一の健康志向の高い地域です。人々はスポーツジムに通ったり、ジョギングしたりと健康管理に余念がありません。そんな雰囲気に影響され私も自然とジムに通うようになり、当初100kgを軽く超えていた私の体重は80kg台まで落とすことに成功しました(残念ながら帰国してからすぐにリバウンドしました)。そして何より気に入っていたのはSo Cal (So California)な人々です。明るくフレンドリー、目が合えば笑顔で声を掛け合います。日本に帰ってきた今でも目を閉じればロサンゼルスのどこまでも青い空と海、そよ風、そこでの生活が思い出され、懐かしく幸せな気分にしてくれます。

お気に入りだった海沿いのカフェ

ラボのメンバーと昼食会

帰国して思うこと
 思い返せば私のアメリカ生活は素晴らしい人々との出会いの連続でした。素晴らしいボス、ラボのメンバー、ボルチモアやロサンゼルスで出会った日本から留学に来ていた眼科の先生方など、遠い異国の地で多くの生涯の友を得られたことは、かけがえのない宝物だと思っています。こういう素晴らしい経験をさせていただけたのは、同門の先生からのご支援のおかげであり非常に感謝しております。とくに留学中いつも気にかけてくださり、私が弱気になったときやラボ移籍時に親身に相談に乗っていただいた大野准教授からは、アメリカへ出発する前に「成果が出るまで帰ってこないように」という冗談?の言葉とともに「いつでも相談してきなさい」と優しい激励の言葉をかけていただいたことは忘れることはできません。私の留学に対し、支援いただいたすべての先生にこの場を借りて感謝申し上げる次第です。
 最後になりますが、留学は楽しいことも多い一方、医局から留学に出させていただいている以上、成果を出す、すなわち良い論文を作成する必要性があります。アメリカでは成果があがることなくラボを去る人々を数多く見てきました。そうならないためには、あらかじめ研究のトレーニングを日本で受け、研究の下地を作っておく必要性がありますが、当教室には私だけでなく、世界各国の大学や研究所への留学経験がある医師が数多くおりますので、留学をしてみたいと考えておられる研修医や学生の方々がいらっしゃいましたら、我々に気軽に声をかけてみてください。

Wilmerの人々と。国際色豊かです。

Dr. Hintonラボのメンバーとの写真。私の送別会にて。
本当に良い仲間と出会えました。みんな本当にありがとう!

川口龍史(都立駒込病院 医長)

平成19年4月〜平成21年3月:オレゴン健康科学大学附属ケーシー眼研究所(アメリカ)

 平成9年に東京医科歯科大学を卒業し、そのまま母校の眼科医局に入局した私がアメリカに留学したのは平成19年の4月、つまり医師になってからちょうど10年目のことです。元々意志が弱く流されやすい自分が、畑違いの基礎研究の分野で留学しようと思ったのは、身近に存在した医局の先輩方が次々と海外へ挑戦する姿を目の当たりにしたからだと思います。「自分も海外に行ってみたい…」単純な、そして100%邪まな動機だった訳ですが、教授はそんな自分の希望を快く承諾してくださり、推薦状まで準備していただきました。これはご厚意以外に何物でもなく、お礼の言いようもありません。また、医局の雰囲気も「折角だからしっかり楽しんでおいでよ」という大らかなものでした。忙しい日常業務を各自が責任をもって取り組んでいる中で、私の留学に寛容に接して下さった医局員の皆様に感謝しています。

 留学先はアメリカ西海岸のオレゴン州ポートランドにあるオレゴン健康科学大学附属ケーシー眼研究所で、ボスはJim Rosenbaum‐エンドトキシン誘発ぶどう膜炎をNatureに報告した免疫学の大家です。自分はここで2年間、マウスの眼にエンドトキシンを注射し、虹彩血管に浸潤する炎症細胞を生体顕微鏡で観察することに没頭しました。基礎研究初心者の私は、ラボのメンバーに一からテクニックを教えてもらい、ラボミーティングでは拙い英語に我慢強く耳を傾けてもらいながら、様々なサジェスチョンをもらいました。今振り返れば、いろんな人達の助けがなければ何一つできなかっただろうと思います。

 時間とお金と労力をかけて準備し、敢えて海外に留学することを選択する理由は人ぞれぞれだと思います。研究テーマを発展させ、トップジャーナルに論文を載せたいと野心を抱く人もいるでしょう。研究で生き抜くためにはより多くの業績を上げ、グラントを獲得することが求められますが、その環境はアメリカをはじめとする海外が圧倒的に有利であり、職を求めて海外に永住する研究者もいます。

 私の場合はそのような切実な立場ではなく、もう少し深く臨床を理解するために背景となるbasic scienceが必要だと感じていたことと、日常の煩雑さから少し離れて(平たく言えば、一息ついて頭を冷やすということですが…)自分の将来を考えたかった、というのが正直な理由だと思います。たった2年間の海外生活でしたが、その経験は今の私にとってとても大きな財産となっています。現在は公立病院の一眼科医として地域医療に向き合う毎日ですが、留学当時に抱いていた何かに挑戦する気持ちは、今も持ち続けていると信じています。チャンスは黙って口を開けていても与えられるものではありません。海外留学にあこがれを抱いている皆さん、夢を現実にして欲しいと思います。

学会場で久しぶりにボスとの再会。(2012年、米国フロリダ州フォートローダデールにて)
Rosenbaum教授と初めてお会いしたのも、6年前の同じ学会だった。